ようこそ女川町へ


 宮城県の東端、太平洋に突き出た牡鹿半島の基部に位置する女川町。
紺碧の海と豊かな緑が調和するリアス式海岸。
沖合には世界三大漁場の一つである金華山沖を控え、古くから天然の良港として知ら れてきました。

 また、町のほとんどが南三陸金華山国定公園に指定され、牡鹿半島・金華山の観光の 拠点、水産と観光の町として発展を続けています。

 美しい自然に囲まれた私たちのまち、女川にようこそおいでくださいました。心より歓迎申しあげます。海をわたる冷たい風がやわらぎ、陽ざしの温もりを感じるころ、豊饒(ほうじょう)な南三陸の沖合いから春漁を告げる海鳥たちの鳴き声が聞こえてきます。
夏は、コバルトブルーの海に祭りばやし。夜空を何千発もの花火が彩り、水と光の一大ページェントを繰り広げます。秋には、日本一の秋刀魚が水揚げされ、冬は、名産の牡蠣(かき)が出荷の最盛期を迎えます。女川は、四季を通し、躍動感と人情が溢れる海と魚と明日のエネルギーを担う町です。

 どうか皆様におかれましては、このホームページを女川での心温かい旅の思い出づくりのガイドとしてご利用いただき、すばらしい心の和が広がりますことを御祈念申しあげ歓迎の挨拶といたします。

65.79km2
世帯数 3,905世帯
人口  10,573人
平成20年3月31日現在

 今の女川町の全地域が、女川と称されたのは明治22年5月1日町村制実施の際のことです。それまでは、女川の地名は今の字女川の部落に限られていました。この女川の地名の由来を尋ねるに、女川町の背後に黒森山があり、この山の奥地に安野平(あんのたいら)という場所があります。ここから流れる渓流を女川と呼んでいました。大昔、安倍貞任(あべのさだとう)の軍が隣村稲井の館で、源氏方の軍勢と戦った時、一族の婦女子を安全地帯である安野平に避難させたので、ここから流れる小川を女川というようになったといわれています。それが後世下流の部落名が女川となり、また女川湾と呼ばれ、更にこの女川の地に大肝入(おおきもいり)丹野家が居住していたので、村名にまでなったものと伝えられています。
 女川または女川湾の名が、広く世人に知られたのは、明治18年5月、英国ハミルトン将軍の率いる東洋艦隊が初めて女川湾に入港して以来のことです。当時この大艦隊が楽々と碇泊(ていはく)したので、一時に天然の良港として世界に紹介されました。




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